「あの…。どうぞ、座ってください。」

train railway miniature transport

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子連れで電車に乗ると親切な人が多い。

 

巷で耳にする、妊婦や子連れに厳しい人間もいるのかもしれないが、そのほとんどは平日の通勤時なのではないかと勝手に思っている。

通勤時の満員電車の人間たちは、皆正常な精神状態ではないのだろう。悲しくも皆一時的に心を病んでいるのであって、それを世の中の指標にはしたくない気持ちがあるのである。

「自分だったら」で考えて理解しかねることであっても、「その人の生い立ち、置かれた環境」などを考慮し、「その人の立場」で想像してみれば、やむを得ないと思える理由があるのかもしれない。

 

 

 

 

今のところ、休日の電車では優しい人が多いという実感がある。

妻が妊娠中の時も、ほとんどの場合、席を譲ってくようとする人が現れたし、子供が生まれてからも気にかけてくれる人が多くて本当に助かっている。

 

 

 

2年前、当時1歳の息子と電車に乗っていた。

初夏だったがその日は急に暑くなり、真夏のような気温だった。

雨が続いていて、外で遊べないストレスが溜まっていた息子を、久しぶりの晴れの日に外で遊ばせようと中央線で昭和記念公園に向かうところだった。

 

私も夏の様相に浮かれており、私の格好もTシャツ、ショートパンツ、ビーチサンダルという姿をしていた。

休日の中央線は席こそ埋まってはいたが、車内は空いており、ベビーカーでも邪魔になることは全くなかった。息子はベビーカーに乗りながら、駅のホームで買ったバナナジュースを飲みつつドアの窓から外を眺めて満足気な表情をしていた。

息子は電車の窓のからの景色が好きなようだ。窓の景色を眺めさせていれば大人しくしてくれる。機関車トーマスの影響かもしれない。

 

最近の電車はドアの窓が縦長に大きくなっている。

私が子供の頃はドアの窓の位置が高く、背伸びして窓の外の景色を眺めたものである。

今では、ベビーカーに座った位置からでも外を眺めることができるのだ。

 

良い時代になったものだと思いながら、ふと、息子の目線からはどう見えているのだろうと思い、息子と同じ目の高さになるように、しゃがんで同じ方向の景色を眺めてみた。

なるほど、ベビーカー目線とはこう見えるのかと感心していたところ、後ろから声をかけられた。

 

「あの…。どうぞ、座ってください。」

 

振り返ると、20歳前後の女性であった。

 

やはり、休日の電車は子連れには優しくしてもらえる。

抱っこしている状態だったら、ご厚意に甘えるところだが、今回はベビーカーに乗せており、私はいたって楽なので、

 

「いえいえ。全然大丈夫なんですよ。ありがとうございます」

 

と、カッコつけたつもりでお断りさせていただいた。

 

そこからは、親切な若い女性の視線を意識して、「息子目線になる理想的な父親」の背中を演じ続けた。

子供を連れていなければ、こんな若い女性に話し掛けてもらえることなど全く無いであろうと、私は心をホクホクさせながら、理想的な父親の背中のまま目的地の駅で下車したのである。

 

 

公園に向かう前に、息子のオムツを交換しようと多目的トイレに入った。

多目的トイレには比較的大きめの鏡があり、そこに映った自分を見て、真実に気付き愕然としたのである。

 

鏡に映っていたのは、青白い顔をしたヒョロヒョロのおじさん。

薄着なところが、余計に身体の細さを目立たせている。

子供の時からずっと痩せ型の体型で、中年になっても体重が増えない。

それは良い事のように聞こえるが、むしろ、筋肉が減り、締りが無くなり、より不健康な痩せ方に見えてしまっている。

極め付けはその青白い顔。

 

私は顔色が悪いと人からよく言われる。

ひどい時(当人の私は特に体調が悪いわけでもないのだが)は緑色をしていると指摘する人もいるくらいである。

若い女性に話しかけられた僥倖、理想的なお父さんの背中部門のMOM(マンオブザマッチ)に自ら選出するほど浮かれた頭を落ち着かせ、冷静に先程の電車内の場面を思い出し、あの女性の立場で想像してみるに、つまりは────。

 

 

・・・今日が晴れてくれて本当に良かった。

彼と会うのは何ヶ月ぶりだろう。

彼が京都の大学に行くと言い出した時は別れを告げられるのかと思ったが、彼は真剣に二人の将来のことを考えてくれていて、大学を卒業したら結婚しようと言ってくれた。

想像とは真逆の展開に、さすがにそこまでの将来を考えていたなかった私は嬉しくて涙が止まらなかった。

遠距離になってから2年くらい過ぎても毎晩のように電話やLINEをしていたし、将来の約束をしているので、むしろ今しか経験できないことだと思うようになり、それなりにお互いの楽しさを見つけていた。

大学生の夏休みは長い。

これから中央線で東京駅まで彼を迎えにいって、それからお互いの地元に行って、花火大会に行って、初デートの思い出の場所多摩動物公園にも行きたいし…。ああ考えるだけでワクワクしてしまう。

ニヤけた顔を誰かに見られてやしないかと頭をあげて電車内を見回したとき、目の前の男の様子がおかしいことに気が付いた。

男は中年で、子供をベビーカーに乗せて連れている。

ガリガリに痩せていて、特に顔色が緑色に近いほど悪い。おそらく元々体が貧弱な上に、急に暑くなった今日の天気に体調を崩しているのだろうと、想像した刹那、その緑色の顔の男はその場でうずくまるようにしゃがみ込んでしまった。ベビーカーにしがみついてガリガリの身体をやっと支えている。

 

───これはヤバイやつだ。

 

彼女は小学校の時に近所の友達のお父さんが若くして亡くなったことを思い出した。

あの時と同じ顔色だ。

これはとりあえず座らせた方がいいだろうと思い、彼女は緑色の男に声を掛けた。

 

「あの…。どうぞ、座ってください。」

 

 

 

 

※あくまでも太字部分は想像です。

 

 

 

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