https://www.asahi.com/sp/articles/ASM5Q53LGM5QULFA026.html
「年金なんてもらえない」
って達観してる感を出したくて口に出してみたりもしてきたけど、こうしていざ政府が認めたとなると、今のところ何の対策もできていない自分を痛感し、漠然とした不安が太陽を覆い隠す雨雲のようにドンヨリと訪れるだけなのだった。
ここ数日、老人による暴走車のニュースが社会を賑わせている。
車で事故を起こす確率なんて、交通事故全体から見たら老人の割合は少ないはずなのに、流行りのニュースということで取り上げられているという側面もあるのかもしれないが、あのような老人になっても、65歳を超えても70歳を超えても80歳を超えても働かなければ、生活費を稼がなければ生きていけない世界がすぐそこにあると言うことだ。
「おじいちゃんになってもTシャツプリントをやっていたい」
とは絶対言うことができない。
それはプリント屋の現実を知っているからだ。
プリント屋で食べていくと言うことは、絶対的に「量」をこなさなければ生きていけない。
「量」より「質」はあり得ず、
「量」も絶対で、「質」も絶対なのだ。
その量を稼ぐには、的確で素早い判断と体力が絶対的に必要になる。
その資質は「老人」とは正反対の座標に位置するものだ。
僕の製版の師匠は50代後半で早期退職していった。
そもそも生活に資金を必要としないライフスタイルだったのもあるにかもしれないが、十分な蓄えができたのだという。
師匠はずっと一人で仕事をしてきた人で、コミュケーション能力に問題のあるような人で、「キレイ」で「早い」仕事っぷりはまさに職人でその点では尊敬できたが、自分の手間が増えることを極端に嫌うことから技術の向上には全く無関心だった。
それもそのはずで、一人でやっていて、誰も手伝ってくれない(仲間を作れない自分のせいもあろうが)環境だから、通常の仕事をこなしながら余計なことをしてると、自分で自分の首を絞めるだけなのだという考えに至ってしまったのも、責めることはできない。
そんな人だから「教える」技術なんて持ち合わせていないかった。
職人の世界はそうだ、というのは教える技術を持っていない、教えること、伝承すること、を怠けている人間の言い訳だ。
本当に技術があり、その技術を高めたいと思っていたら、新しい世代に伝えて新しい技術を見つけて欲しいと願うはずだ。
「教えた方が早いこと」と「自分で経験した方がいいこと」「自分で経験しなければわからないこと」が明確にわかっていて、それをケースバイケースで使い分けるはずだ。
師匠も教えてくれようとはした。
しかし、長年その方面の脳みそを使ってこなかったので、質問しても「えーっと….」と言ってた思考停止に陥っていた。
向上心がなくなったら、勉強することをやめたら、こうなるのだと知った。
だから僕は自力で勉強した。現在も続けている。
師匠がなんとなくやっていたこと、できなかったことを、調べて試して勉強して解き明かし、言葉と体で説明できるようにした。
そらそうだ。師匠が会社にいなくなるのだから、会社の製版技術を担うのは自分だ。
師匠が退職前からインクジェットが導入され、それの担当にもなった。
会社で誰もやったことがないことと、会社でもっとも古くからいた職人の代わりを自分のがやった。
僕は浪人して入ったDランクの大学をやっと卒業した程度の頭なので、何かを自分に理解させるためには、わかりやすい言葉にかみ砕いた表現で自分を納得させる必要がある。
そのことが人に教える時に役に立つことを知った。
師匠がなんとなくやっていたことの意味と体系を言葉と体と笑いで表現した。
さらには師匠ができなかったことも、解き明かして実際やって見せて、そして教えることができる。
インクジェットという新しいことについても、同じだ。
問題を探して解き明かして伝えることができる。
さらには、インクジェットで自分で生産もしなければならなくなると、そこでいかに効率をあげるかを考え導き出した、グーグルスプレッドシートを工場全体のスケジュールシステム作った。
自分の仕事プラス、会社全体の効率化に貢献できたことは嬉しかった。
プリント作業ももちろん、いろんなことに興味や問題意識をもって行動することは体力がいる。
今までは突っ走ってこれたけど、今、こうして政府が示したように、老人になっても働け、と言われると、今と同じ仕事をすることは体力がなくなったら不可能だ。
子供が自立するまで、と思ってきたけど、もっとそれ以上に長くできる仕事を考えなければいけない。
それと同時に、身体を壊さないようにしなければいけない。
仕事に夢中になって身体を壊したとしても会社は「そこまでやれとは言ってない」というだろうし、会社のせいにできるほど子供でもないし。
老人になってもできる仕事って何だろう?