大田区西蒲田5丁目の松栄荘201号室。
男はもうそこにはいない。
それどころか、住所も苗字も戸籍も変わってしまっている。
男は、その人生を振り返っても、10年何かを続けたことがない。
住んでいた土地も、実家が数回引越しをしているので、学生時代を含めても10年以上同じ土地にいたのは、小学校3年の春~大学受験浪人中の夏までの、杉並区の荻窪にいた11年間くらいだった。
荻窪は、多感なティーンエイジャーを過ごしていた土地ではあったが、それでも8歳からの転校生でもあったので「地元」と呼ぶには実感は薄かった。
趣味も、数年間続いたかと思えば息を潜め、数年後またやりだすというような浮き沈みがあり、「10年毎日のように」と条件をつけると、趣味も続いたことがない。
男はTシャツが好きだったので、大学時代にシルクスクリーンプリントに興味を持ち、趣味として長く続いた方であったが、途中から仕事になったために趣味とは呼ばなくなった ─────。
───── 27歳の無職の男がのアルバイト募集に電話したのは、たしか2月の20日頃ではなかったか。
たまたま住んでいたアパートと似た名前だった、というのが理由と言えば理由だったのかもしれない。
男は今、37歳になっていた。
Ten Years After
松栄シルクでアルバイトを始めた当時、ブルース・ロックをよく聴いていた。
Ten Years Afterは1966年頃にイングランドで活動を開始したブルースロックバンドである。
1969年のウッドストックのビデオを見て「I’m Going Home」の11分を超える演奏に心を奪われたのが聴き始めたきっかけだった。
I’m Going Home
男はバイトとして入社してから一年後に正社員となった。
その数年後に結婚もし、住処は西東京の多摩地方に移り、そのまた数年後に子供が生まれた。
家族ができると諸々申請や加入などの手続きが多くなる。
申込書等の職業記入欄に「会社員」と書いている時の男の顔は、笑っているようにも気恥ずかしいようにも見える左右非対称な顔になっている。
入社11年目を迎えた今、おそらく、葛飾区堀切にいる時間が、今のところ人生で一番長くなりそうである。
そして、引越しを繰り返して辿り着いた先、東京の西の端、今住んでいる土地が子供たちの「地元」になるのだ。
男はこの際自分もこの場所を「地元」にしてみようと思った。
I’m Going Home
37歳のTシャツプリント工場勤務の男は、
どうやら今日も、東京を横断して、家に帰えるようだった。