蒲田から来た男

大田区西蒲田5丁目にある細い路地に佇む松栄荘 201号室。

築40年超の木造アパートだったが、内装はリフォーム済みの、とても綺麗で日当たりの良い角部屋だった。アパートは大家さんの家の隣に建っていたので、何かあるとすぐに大家さんが助けてくれた。

部屋にネズミが出た時は、大家さんが(正確には大家さんは老婦人で、その旦那さんが)一生懸命にネズミの侵入口を塞いでくれた。

大家さんの家の木戸をガラガラと開けてアパートに入るようになっていたため、無駄なセールスなども来ず、初めての一人暮らしも安心して暮らせた。

その部屋の住人は、27歳、無職の男。

前職はホテルのバースタッフで、前年の12月20日で退職していた。忘年会〜クリスマスシーズンという忙しい時期での退職だったが、半年前から申告していたため、男の意志を汲み取ってくれたのか、皆んな快く送り出してくれた。

そのホテルのバーでは4年と2カ月在籍していた。

もともとは少しの間糊口をしのぐためのバイトのつもりだった。

一浪の末にやっと入学したDランクの大学を、どうにか卒業したような男だった。

必修のゼミに入るのを忘れていて、学部長の教授の部屋の前で菓子折り持参のスーツ姿で待ち続け、教授が来るや「卒業したいです!」と直訴し、堂々巡りの禅問答のような答えの出ない卒論で単位ギリギリ這々の体で卒業した。

就職は決まっていたが、2ヶ月で辞めてしまった。

教育実習のために就活もできなかった男に大学の就職支援課が何とか紹介してくれた会社だったが、絵に描いたようなサラリーマン社会の風習に馴染めずに、退職し、沖縄に旅に出てしまった。

沖縄では、友人の親戚のつてを頼り、名護の自然食品の工場でバイトさせてもらった。

沖縄には初めて訪れたので、名護が那覇よりだいぶ北にあり、やんばると呼ばれるあまり華やかではない地域であることを、滞在してしばらくしてから知った。

華やかではないと言っても、関東からほとんど出たことのない男にとっては、島独特の風習や見たことのない植物や野生的な飛行を見せるゴキブリなど刺激に満ちていた。

友人の叔父当たる人が、嘘か本当かわからないことをたくさん教えてくれた。

無料でイルカが観れるスポットや観光客があまり行かないようなビーチにあるバーなどにも連れて行ってくれた。

工場ではシークワーサーのジュースを詰めたり、チューチューと呼ばれる棒状のアイスを詰めたりしていた。

従業員は面白い人ばかりだったが、だいたい離婚していた。沖縄の離婚率の高さを実感した。

シークワーサーは皮を剥いて中身だけ絞ると酸っぱくなく甘いこと。沖縄の人は熱々ご飯ではなく冷えたご飯が好みであることを教えてくれた。

地元の祭りにも参加させてくれて、夜通し太鼓を叩き続けた。

今でも、ニュースで基地問題で名護の名前が出るたびに、思いを馳せてしまうようだ。

沖縄で1ヶ月半ほど過ごして帰京し、結婚式場でバイトを始めた。

「配膳」というらしい。

それは派遣会社に登録したことになっていて、その派遣会社が宴会場やホテルの人夫を斡旋しており、フリーター状態の男は程なくして、1週間通しで働けるようにホテルの現場に派遣された。

派遣されたのはホテルのバーだったが、

・・・つづく?

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